創作と、こころ・からだの健康、慣例の害悪について

以前、「創作活動と生きづらさについて」というアンケートを取ったことがあります。
実に711件ものご回答をいただき、たくさんの考えに触れ、とても勉強になったのをよく覚えています。

私の体感では、ちょっと前ぐらいまで、「創作者なんぞ不健康でなんぼ」みたいな空気があったような気がしています。
不健康がかっこいいとまでは言いませんが、夜更かしが当たり前だったり、モンスターエナジーや酒をがぶ飲みして作業するのがウケたり。

最近は少し変わってきている気がしていて、「頼むから健康であってくれ、寝てくれ」という向きが強まってきたように思います。

私自身、創作活動を行う人間です。
そして、うつ病とADHDを持っています。
うつ病の波は容赦なく何度もやってくるし、ADHDらしい衝動的な振る舞いはどんなに抑えようとしても出てしまい、そのたびに周りの人を遠ざけてきました。

そんな中、ひとりの世界にのめり込んで絵を描いたり歌を歌ったりものを作ったりすることは、私にとって大きな救いでした。
どんなにへたくそでも、どんなに不器用でも、ひとりの世界の中でそれをたしなめる者はありません。

他方、同じように創作活動に魅せられた仲間で、商業のほうへ行った方もおられました。
何人かいる中のちょうど半分ぐらいが、割り切れなくてこころを壊してしまい、筆を休ませることになっていました。

割り切らなくちゃ暮らしていけない。
でも、割り切れるほど器用だったら絵じゃなくてよかった。
絵だからこそ、割り切れなかった。
そんな人達を何人か見てきました。

何が正義なのかは、何を軸に話すかで、すっかり変わってしまいます。
誰かがいじわるをしているからそうなったわけじゃない。
かといって、あなたが悪いわけじゃ決してない。

ただ、私個人の視点としては「絵じゃないと生きていけない人がいる」ということ、そして「その人が座れるはずだった席を当たり前のように奪ってしまう、圧倒的な強い何かがこの世に存在する」ということが言えると思います。

絵じゃなくても生きていけるスキルのある人のほうが強い。
割り切って売れ線をたどっていける人のほうが強い。
これを「当たり前」として、「悔しいなら、それ以上のパワーのあるものを作ればいい」とうそぶく、強い人達。

誰かが、ことさらに「絵じゃないと生きていけない人たち」をのけものにしようとしてるわけじゃない。
でも誰もが、自分が悪いわけじゃない、私は関係ないってそっぽを向いて、自分が矛先になる順番が回ってこないように、自分を守る。

そりゃあ、ものをつくる人がこころもからだも壊すのは当たり前なんですよね。
それしかないから必死になって食らいつこうとして、でも、割り切れなくて。
大事なものを売り渡すみたいで、つらくて。
で、こころもすっからかんになっちゃって。

私は、そういうフィールドを壊したくてシェアアトリエを作りました。
でも、それもあえなく壊されて。

どうして、文化・芸能の世界はいつまでたってもこうなんでしょうか?
こころもからだも健康なまま、さまざまな在り方で多くの人が活躍できる方法があるはずなのに。

このごろ、つくるひとたちの訃報が続きました。
まだ芽の出ていないひとたちが人知れず亡くなっていったケースもあるでしょう。

考えるべき時が来ていると思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました